髙橋さん:国立がんセンターは、それまでのミュージシャン生活とは180度違う世界で、診療放射線技師としての新たな第2の人生が始まりました。東大卒のスーパーエリートが集うような環境で驚きましたが、面白い人ばかりでしたね。知的好奇心が刺激され、勉強することが好きになり、大きなテーマも任されるようになりました。学会で研究結果を発表し、がん対策10か年計画という大きなプロジェクトにも参加しました。
ただ、高校の同級生たちに売れないミュージシャンとからかわれていたこともあり、何か大きなチャレンジをして見返したいという気持ちになっていて、30歳の時に一念発起して投資会社を作りました。
結果、最初に投資した案件が大当たり。その後飲食店、派遣会社、輸入会社含め、グループ会社が7社となり、ビジネスの規模を拡大したことで一定の成功をおさめたと感じました。ユニークなものではカラーひよこをアメリカに輸出する会社も作ったんです。それは船便でアメリカに送るとひよこがニワトリになってしまい、上手くいきませんでしたが。(笑)