
吉田:我々日本人は、中国古典を読むことで原点に立ち戻る一方で、グローバル社会に対応するために、自分たちの在り方を変えていかなくてはいけない部分もあると思います。その点についてはどうお考えですか。
守屋:新しいものは貪欲に吸収する。同時に、日本流のよい伝統はしっかりと受け継いでいきたいものです。たとえば、日本人の人間観は、伝統的に性善説ですよね、今でも。
藤原:契約書からして違いますからね。「本契約の解釈について疑義が生じたときは、双方が誠意をもって協議のうえ解決する」といった文面は、性善説に基づいていないと成り立たないものです。こんな文面の契約書は、アメリカではまず考えられません。アメリカは性悪説ですね。
守屋:アメリカだけではありません。中国やロシアだって性悪説です。では、日本はどうするか。性悪説に転換するべきか。そうするべきだという声もあります。
でも私は基本は性善説でいいと思います。そこは日本人の長所ですから、変えないほうがいい。ただし一方で、用心や警戒は怠らないようにしなければいけません。にこやかに対応しながらも、相手が信頼に足る人物なのかどうか、そのあたりはしっかりと見きわめて対応する。
藤原:賛成です。性善説でいいんだけど、危機管理は必要だということですね。
守屋:一人で生きているのならまだしも、組織を背負っている人物が、人の悪意に対して鈍感では困ります。
もう一つ日本人が苦手としているのが、戦略・戦術ですね。戦略とか戦術といった言葉は好きなんですが、いざ使う段になると、世界の民族の中で一番下手だと言われています。
誠意や誠実さは非常に大切だけれど、リーダーはそれだけでは駄目ということです。いざとなれば戦略・戦術を使いこなしながら、相手と互角以上の駆け引きができる能力を身につけていくことが求められます。これからの課題ですね。そういう意味でも、中国古典に学んでタフなリーダーをめざしてほしいと願っています。
藤原:そうですね。昔の日本のリーダーは立派だったといっても、昔流のやり方をそのまま今の時代に持ってきてもうまくはいきません。変えるべき部分は変える必要があります。一方で「修己治人」「経世済民」「応対辞令」といった中国古典の教えは、どんなに時代が変わっても、古びることがありません。
社会の変化に敏感になり、柔軟に対応しつつも、中国古典を通じて不変の人間学についても学び続けることが大事。今日は大きな気づきを得ることができました。