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インタビュ―記事
第一回教員企画
「藤原洋副学長×守屋洋教授×吉田宣也教授」

■リーダーとして大事なことは中国古典が教えてくれる

鼎談

リーダーとして大事なことは中国古典が教えてくれる

SBI大学院大学の教員陣が、これからの社会や経営の在り方、あるべきリーダー像について語り合う鼎談シリーズ。第一回のテーマは、「リーダーとして大事なことは中国古典が教えてくれる」。中国古典研究の泰斗であり、本学でも「中国古典に見る指導者の条件」等の授業を担当する守屋洋教授と、起業家・ビジネスマンとしても名高い藤原洋副学長、吉田宣也教授が、日本人と中国古典の関わりや、戦後日本人が中国古典の素養を失ったことが社会に何をもたらしたか、これからの時代のリーダーは中国古典から何を学ぶべきかについて話し合った。変化の激しい時代だからこそ、不変の真理を教える中国古典から得られるものは非常に大きい。

藤原洋副学長×守屋洋教授×吉田宣也教授
藤原洋副学長×守屋洋教授×吉田宣也教授
◇ profile ◇

藤原洋副学長

藤原副学長
インターネット総合研究所、ブロードバンドタワー等、複数企業、研究所等の代表取締役、理事などを務める。慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授、京都大学宇宙総合学研究ユニット特任教授。著書に『全産業デジタル化時代の日本創生戦略』(PHP研究所)、『科学技術と企業家の精神』(岩波書店)、『第4の産業革命』(朝日新聞出版)、『数学力で国力が決まる』(日本評論社)等がある。

守屋洋教授

守屋洋教授
中国文学者。難解になりがちな中国古典を、平易な語り口でわかりやすく説く。日本文藝家協会会員。日本ペンクラブ会員。『中国古典一日一言』『中国皇帝列伝』『完本 中国古典の人間学』『全訳・武経七書』『中国古典の名言名句三百選』『「孫子の兵法」がわかる本』『兵法三十六計』『論語の人間学』『韓非子』『決定版・菜根譚』『リーダーの心得帖』『帝王学講義』『諸葛孔明の兵法』『貞観政要』『呻吟語』など著書多数。

吉田宣也教授

吉田宣也教授
ネプチューングループ株式会社代表取締役。米MIT〔マサチューセッツ工科大〕の起業フォーラムの日本副代表、MIT-BPCC(ビジネスプランコンテスト)審査員、KBC〔慶應ビジネスコンテスト〕審査員、キャンパスベンチャーグランプリ審査員、立命館アジアパシフィック大学での客員講演、シンガポールテレコム・セキュリティフォーラム講師などを歴任。トレンドマイクロの初代代表取締役として同社を株式公開。

■リーダーとして大事なことは中国古典が教えてくれる


先人たちは中国古典から何を学んできたか
     鼎談風景

吉田:近年、日本企業による不正会計やコンプライアンス違反等のニュースを目にする機会が増えています。組織の上に立つ人間の倫理が問われているといえます。
そのときに何をよりどころにして倫理を構築していけばいいのかと考えると、やはり中国古典から学べることは非常に多いのではないかと思います。そこで本日は中国古典研究の第一人者である守屋洋先生をお迎えして、中国古典の観点から、これからのリーダーのあるべき姿について論じていきたいと考えています。

守屋 :
吉田先生がおっしゃる通り、日本人は昔から人としての在り方、リーダーとしての在り方を中国古典から学んできました。では何を学んだのかというと、大きく三つあります。
第一は「修己治人(しゅうこちじん)」※1。これはまさにリーダー論です。上に立つ者はまず「修己」、すなわち自分を磨く努力を欠かさず、リーダーとしてふさわしい中身を身につけることによって、初めて「治人」、人の上に立つ資格があることを説いたものです。
第二は「経世済民」※2。「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」。国や組織をどうまとめていくか、つまりは政治論ですね。

吉田:
政治論を表す言葉の中に、「経済」の二文字が入っているんですね。

守屋:
そうなんです。明治の初めにEconomicsという外来語が入ってきたときに、日本の先人たちは、「経世済民」からとって「経済」という翻訳語をつくったのです。ですから「経済」という言葉には、経済や経営も、世のため人のためになるものであってほしいという願いが込められているんです。
三つ目は「応対辞令」※3。人と会って話をする、その受け答え。今でいう人間関係論ですね。さらに人と人のつき合いだけではなく、国と国との外交交渉まで含まれています。

吉田:
なるほど。「修己治人」「経世済民」「応対辞令」の三つが、人として、またリーダーとして学ぶべき基本的習得事項ということですね。

守屋:
そうです。しかも日本の先人たちが偉かったのは、中国古典の教えを鵜呑みにしたわけではないんですね。「和魂漢才」といって、日本の精神や伝統を活かしながら、その中に中国古典の教えを上手に取り入れていったんです。

藤原:
「和魂洋才」という言葉もありますね。

守屋:
それは明治になってから欧米の文化や文明を受け入れるようになったとき、和魂漢才をもじって使われるようになった言葉です。元々は和魂漢才でした。


日本人の中から中国古典の素養が失われていった
    鼎談風景2

守屋先生

守屋:
私は、中国古典の下地が日本人の中にあったから、幕末の混乱を乗り切ることができ、また明治という時代を作り、世界史の中で主役とはいえないまでも、準主役くらいの役割を演ずることができたのだろうと思っています。その後日本は軍事に偏りすぎて大敗を喫しました。当時、世界の人々は、日本はアメリカにこてんぱんにやられて、今後50年は立ち直れないだろうと見ていました。ところがほんの20年もしないうちに今度は経済です。奇跡的な復興を成し遂げて、世界の瞠目を浴びました。それはやはり中国古典の素養を持っていた人たちが、リーダーとしてこの社会を引っ張っていったからです。
吉田教授

吉田:当時と比べると、今の日本人には中国古典の素養が失われていますね。

守屋:中国古典が日本の社会の中で、何とか機能していたのは昭和までですね。例えば政治の世界で、かろうじて中国古典の素養を身につけていたのは中曽根康弘さんあたりまでで、あそこで終わりです。経営者にしても、昭和までは10人のうち5人くらいは、座右の書として『論語』などの中国古典を挙げていましたが、今はほとんどいなくなりました。
だからこう言っては何だけど、今は政治家にしても経済人にしても、人間としての厚みがなくなりました。上に立つ者としての基本的な心得を何一つ学んでこなかったんじゃないかという印象を受ける人が増えています。
もう今から30年近く前になりますが、そうやって中国古典の伝統、日本人が持っていた長所が失われつつあったところに、バブルが弾けて、日本の経営者たちは自信をなくしました。それでアメリカ流の経営学を取り入れて……。もちろん新しいものを取り入れるのはいいのですが、ろくに噛みもしないで鵜呑みにしたものだから、消化不良を起こしてしまった。

藤原教授

藤原:そう思います。アングロサクソン的資本主義は、アメリカではうまくいったとは思います。でも日本は文化も価値観も違うので、直輸入をしてもうまくいくわけがありません。本来ならそれこそ和魂洋才の意識を持って、独自の解釈でアングロサクソン的資本主義を自分のものにすべきだったのですが、そうできなかった。それがバブル経済崩壊後の日本の姿のような気がします。


リーダーとしての在り方を見直す
    鼎談風景3


吉田:
お話を伺っていて、やはり今のリーダーたちも、中国古典を一度きちんと学ぶべきではないかと改めて強く思いました。

藤原:私は中国のリーダー層の人たちと接する機会が多いですが、今は中国でも中国古典が見直されています。中国では毛沢東の時代に、『論語』などの中国古典は、封建社会の秩序を維持するために書かれたものだとして排斥されたんです。しかし今は人としての在り方、生き方を考えるために、中国古典を読む人が再び増え始めています。

守屋:これからの日本のリーダーにも中国古典の基礎ぐらいは学んでおいてほしいと願っているのですが、同時に日本の近代を担った先人たちの生き方からも学べることがたくさんありますね。たとえば、戦前に三井物産の社長、戦後に国鉄の総裁を務めた石田礼助という人物がいました。当時の国鉄は、政府の指揮下にあって自律的な経営がままならず、誰も総裁になんてなりたがりませんでした。そんな中で「国鉄の仕事はパブリックサービスなんだ。自分は世の中のために尽くしたい」と言って引き受けたのが石田礼助でした。そして経営の効率化や安全性の向上に取り組みました。
また石田は30歳の頃には、三井物産のシアトル支店で支店長を務めていました。それから20年後に再びシアトルを訪ねたところ、地元の財界人が盛大な歓迎会を開いてくれたというのです。というのは彼はシアトル時代、船の事業で大変な利益をあげました。ただし自分が儲けただけではなくて、シアトルの財界にも大きな利益をもたらした。だからシアトルの財界人は、みんな石田に感謝していたんです。

吉田:単に自分が儲かればいいという考え方ではなかった。

守屋:そうなんです。日本では、近江商人から始まった「買い手よし」「売り手よし」「世間よし」の「三方よし」の考えが、昔から商業道徳として人々の間に根づいていました。

吉田:そうですね。むかし伊藤忠兵衛という近江商人がいて、三方良しの近江商人の経営哲学を実践し、日本を代表する総合商社に成長した例があります。

守屋:この考えは、孔子の思想とも共通しています。『論語』の中に「利をみては義を思う」という言葉があります。「利益を追求する際には、人としての正しい道を踏み外さないようにやってください。自分の利益だけを追求していると、結局はうまくいきませんよ」というのです。
経営者に求められるのは、何といっても利益をあげることです。
利益をあげないと経営は成り立たないですからね。では利益のためなら何をしてもよいかというと、そうではないということです。
理想を言えば、自分は大いに儲けさせてもらう。同時に、周りの人たちにも喜んでもらえる、感謝してもらえる。これこそ経営の醍醐味じゃないですか。たしか渋沢栄一の『論語と算盤』もそういうことを説いていたはずです。

藤原:「三方よし」についていうと、私は今の時代は「顧客よし」「株主よし」「従業員よし」、そして「協力会社よし」の四方良しでなくてはいけないと考えています。協力会社とは下請け企業のことですね。下請け企業の人たちを悲惨な目に遭わせておいて、ほかの三者が得をする社会になってしまうのはまずいと思います。
今の金融緩和と財政出動だけのアベノミクスでは、道半ばで、そういうところがありますね。大企業は利益を得ていますが、その利益が下請け企業や地方には回っていません。


変えてはいけないことと、変えなくてはいけないこと
      鼎談風景4

吉田教授

吉田:
我々日本人は、中国古典を読むことで原点に立ち戻る一方で、グローバル社会に対応するために、自分たちの在り方を変えていかなくてはいけない部分もあると思います。その点についてはどうお考えですか。

守屋教授

守屋:新しいものは貪欲に吸収する。同時に、日本流のよい伝統はしっかりと受け継いでいきたいものです。たとえば、日本人の人間観は、伝統的に性善説ですよね、今でも。

藤原副学長

藤原:契約書からして違いますからね。「本契約の解釈について疑義が生じたときは、双方が誠意をもって協議のうえ解決する」といった文面は、性善説に基づいていないと成り立たないものです。こんな文面の契約書は、アメリカではまず考えられません。アメリカは性悪説ですね。

守屋:
アメリカだけではありません。中国やロシアだって性悪説です。では、日本はどうするか。性悪説に転換するべきか。そうするべきだという声もあります。
でも私は基本は性善説でいいと思います。そこは日本人の長所ですから、変えないほうがいい。ただし一方で、用心や警戒は怠らないようにしなければいけません。にこやかに対応しながらも、相手が信頼に足る人物なのかどうか、そのあたりはしっかりと見きわめて対応する。

藤原:賛成です。性善説でいいんだけど、危機管理は必要だということですね。

守屋:一人で生きているのならまだしも、組織を背負っている人物が、人の悪意に対して鈍感では困ります。
もう一つ日本人が苦手としているのが、戦略・戦術ですね。戦略とか戦術といった言葉は好きなんですが、いざ使う段になると、世界の民族の中で一番下手だと言われています。
誠意や誠実さは非常に大切だけれど、リーダーはそれだけでは駄目ということです。いざとなれば戦略・戦術を使いこなしながら、相手と互角以上の駆け引きができる能力を身につけていくことが求められます。これからの課題ですね。そういう意味でも、中国古典に学んでタフなリーダーをめざしてほしいと願っています。

藤原:そうですね。昔の日本のリーダーは立派だったといっても、昔流のやり方をそのまま今の時代に持ってきてもうまくはいきません。変えるべき部分は変える必要があります。一方で「修己治人」「経世済民」「応対辞令」といった中国古典の教えは、どんなに時代が変わっても、古びることがありません。
社会の変化に敏感になり、柔軟に対応しつつも、中国古典を通じて不変の人間学についても学び続けることが大事。今日は大きな気づきを得ることができました。

※1_修己治人(しゅうこちじん)
部下を使う立場の人は、まずは自分を磨くこと。

※2_経世済民(けいせいさいみん)
中国古典の特徴の一つ。世を治め民を救うという意味。
天下を治めたり、国をまとめるにはどうすればよいかといった政治論。
「経済」という言葉はここからきている。

※3_応対辞令(おうたいじれい)
応対:人と話をする時の受け答え
辞令:言葉づかい
現代で言うと、社会生活の諸々の場における人間関係にどう対処するかの方法。国と国との外交交渉なども含む。

(守屋洋教授担当科目「中国古典に見る指導者の条件」より)


(構成:長谷川敦 撮影:高橋郁子)
2019年2月14日
ブロードバンドタワー本社にて