野間先生金融ブログ

わが国でもキャッシュレス化や高額紙幣の廃止が進むのか

キャッシュレス
      普段の生活で現金(紙幣と硬貨)での支払いを必要としない「キャッシュレス化」が世界中で進んでいる。例えばデンマークであるが、ギターを奏でる街角ミュージシャンへの投げ銭に、さらにスウェーデンでは物乞いへの施しにまでキャッシュレスでの支払いがされているそうだ。現金大国のわが国でも、東京都心で「現金お断り」のレストランが試験開業したことがメディアで報じられた。そして、このキャッシュレス化(脱・現金化)が進行して行く先には紙幣の廃止がわが国でも待ち受けているかもしれない。現にインドでは2016年11月に高額の2紙幣を廃止済みであり、また、欧州中央銀行(ECB)も最高額紙幣である500ユーロ札に関し、本年末での新規発行停止を発表済みである。このように世界的なトレンドであるキャッシュレス化と高額紙幣の廃止は、わが国でも進むのか。
     そこで先ず、わが国のキャッシュレス化の現状である。日本はお金の支払いの約8割が紙幣(お札)や硬貨(小銭)でやり取りされる現金大国である。キャッシュレス決済比率の国際比較には様々な発表データがあるが、経済産業省が2017年8月に発表した「キャッシュレスの現状と推進」によると、キャッシュレス比率(2015年)は中国55%、韓国54%、米国41%である一方で、日本は僅か18%に止まっている。日本のこの低さ、つまりは日本人の「現金好き(現金信仰)」の理由であるが、元々の治安の良さや清貧を良きものとする国民性に加え、バブル崩壊後に相次いだ大手金融機関の破綻やペイオフ解禁(注1)、長引くデフレなどが挙げられる。そして、現金好きの反映でもあるだろうが、世の中に出る1万円札は増え続けており、17年末の発行残高(流通残高)は約98.7兆円と過去最高を更新したばかりである。
  しかしながら、ネットやスマホによる電子決済サービスが普及する中国や韓国、欧米等と比べて周回遅れにあるわが国でも、人手不足や訪日外国人の増加などを背景に、現金大国の現状が大きく変わる兆しがある。飲食や小売りなどのサービス業の従業員にとって大きな負担の一つが現金管理であり、レジに記録された現金の出し入れデータとレジの中味が一致していることを確かめる「レジ締め」に従業員は日々、膨大な時間と労力を費やしている。わが国におけるキャッシュレス化の推進は、人件費の大幅削減と人員の効率的配置に寄与することは間違いなさそうだ。今後、訪日外国人の更なる増加と外食・小売店での人手不足の深刻化が見込まれるなか、わが国でもキャッシュレス化が間違いなく進行するであろう。日本人の「現金好き」には大きなコストも掛かってきた。現金の取り扱いが多いからATM網が張り巡らされ、便利であるがゆえに現金決済が減らない、との構図が続いてきたが、ATMの維持・管理コストや現金輸送、現金の取り扱い事務の人件費などを考慮すると、日本の金融界全体で年間2兆円ものコストが掛かっている、との試算もある。
  無論、人手不足や訪日外国人の増加のみが脱・現金化の背景ではない。金融とIT(情報技術)を融合したフィンテックの浸透やビットコインなど仮想通貨の普及をも背景にして、キャッシュレス化は加速しそうである。それにより、日常決済用の現金の役割は小さくなって行くであろう。現金利用が減るにつれて現金を受け払いしない銀行店舗も増える可能性がある。店舗に現金がなければ銀行強盗の恐れもなくなるので、警備費用を大幅に削減できる。銀行の業務や行員の数も今後、大幅に削減されて行くであろう。メガバンクが大規模な人員削減に踏み切るなど、従来型のビジネスモデルの大転換を加速しているのは、その表れの一つである。
     政府も「日本再興戦略」をはじめ、様々な場でキャッシュレス推進を打ち出してきたが、17年6月29日に閣議決定した「未来投資戦略2017」において、新たなKPI(重要業績評価指標)を策定した。それは「今後の10年間(2027年6月まで)に、キャッシュレス決済比率を倍増し、4割程度とすることを目指す。」とするものである。そこでは、「キャッシュレス決済は、消費者に利便性をもたらすほか、事業者の生産性向上につながり、また経済全体にも大きなメリットがある。」としている。さらには、経済全体へのメリットとして、脱税の減少やマネーロンダリングの抑制といった公共的観点(公益)をも挙げており、この点も注目される。筆者自身、クレジットカードでの買い物を可能な限り避けたい中高年の典型であるが、政府が提唱し始めたキャッシュレス比率倍増の意義を十分に納得できる気がする。
     以上のキャッシュレス社会の進展と裏腹の関係に立つのが高額紙幣の廃止である。上記の通り、インドでは既に高額紙幣を廃止済みであり、欧州中央銀行も今年末で最高額紙幣の新規発行を停止予定であるが、わが国でも高額紙幣の廃止が進むのか。先ず、廃止のメリット(=紙幣の問題点)として挙げられるのは、①高額紙幣を含む現金を全廃して預金のみとした場合、マイナス金利政策がより有効に機能すること(現金にはゼロ金利の下限があるが、預金にはマイナス金利の賦課が可能であるので)、②高額紙幣を含む現金は決済手段として非効率であり、諸外国では小切手を使った銀行振り替え、クレジットカード、デビットカード、プリペイドカード、スマホを使った非接触型決済(アップルペイ、アリペイ等)などが、現金に代わるより効率的な決済手段として広く使われていること、③現金には匿名性が備わっているため、脱税や資金洗浄(マネロン)(注2)など非合法取引きの決済や犯罪者の価値貯蔵の格好の手段となり得ること、の3つが挙げられる。その一方で、高額紙幣が廃止される場合のデメリットも指摘されており、①高齢の人々や中小企業は現金に代わる決済手段に不慣れであり、代替決済手段への切り替えが容易にできない人々は現金廃止で強い不便を強いられること(特に日本の場合は元々、現金決済の比率が高い上に高齢者が増加する中で、現金の全廃に踏み切ることは非常に困難)、②高額紙幣などの現金に代わる決済方法には第三者によるトレース(履歴の追跡)が可能なので、政府・企業による個人情報乱用の恐れがあること、の2つが挙げられている。(なお、上記のメリットとデメリットに関しては、日経新聞17年11月20日付け朝刊「経済教室」欄を一部参照した。)
     それでは、わが国でも高額紙幣(1万円)の廃止の可能性があるのか。結論から言うと、わが国でもキャッシュレス化は相当程度進むとしても、だからと言って1万円札の廃止にまで一気に進むことはあり得ない、と筆者は考える。仮に今後、「好景気・高インフレ・高金利」に転じて行き、1万円札で資産を保有することに伴う機会費用(注3)が高まると、1万円札の保有動機が弱まり、社会全体で1万円札の需要が減ることは確かである。しかしそれが直ちに1万円札の廃止にまで至るとは全然思えない。日本人の心に戦後長く根付いていた土地神話(信仰)はバブルの崩壊とともに消えた。その一方で、高額紙幣への現金信仰はまだ当分消えそうにはない。仮に今の1万円札が廃止される日がやって来るとしても、それは超デジタル化社会(ビットコインなどの仮想通貨が高齢者間でもごく当たり前に使用される)が実現する遠い将来のことではないか。
     筆者は国民の間で現金信仰が強いことは非常に良いこと、とも考えている。アジアなどの途上国で痛感することの一つがお札の汚れ具合である。それと比べて、わが国1万円札も500円硬貨も極めて精巧な日本的工芸品であるとともに、私たちはその発行元である日銀(紙幣)や財務省(硬貨)に対して大きな信認を寄せている。さらに言えば、私たちは当局(お上)を頂点とする金融システムの全体に強い信頼を寄せている、と言えるのではないか。通貨に対する信認が弱い国と異なり、安定した通貨を持つ日本では、ビットコインなどの仮想通貨が1万円札と並んで普及し始めたとしても、当分の間は限定的な普及に止まるのではないか、と考える。
     最後に、キャッシュレス化が世界的に進む中で、それと矛盾するようであるが、現金(特に高額紙幣)流通残高も最近は世界的に高まっている点に触れておきたい。冒頭にも記述の通り、わが国でも1万円札は増え続けており、2017年末の流通残高は約98.7兆円と最高残高を更新した。この点をより詳しく見ると、2017年末の紙幣の流通高は106.7兆円と、2016年末比で4%増加した。一方で硬貨は4.8兆円と僅か1%しか伸びておらず紙幣の伸びが大きい。その中で最大は1万円札であり、紙幣の93%を占めている。こうした現金流通高、特に高額紙幣の増加は海外の先進国も同じ状況であるが、その背景にあるのが各国に共通する低金利である。現金には匿名性が高いというメリットがある一方、物価上昇で金利が高くなると機会費用の高まりというデメリットが生じるが、先進各国の中銀が大規模緩和で超低金利政策を続ける中、メリットがデメリットを上回る形で現金シフトが起きているのである。
     マネー、すなわち貨幣(現金と預金)は本来、交換手段、価値の貯蔵手段、価値尺度手段(計算単位)の3つの役割を持つが、キャッシュレス化は貨幣の交換手段としての役割を小さくするものである。しかしながら、特に現在のような超低金利時代には貨幣(特に高額紙幣)の価値貯蔵手段としての役割が大きいことは、近年の1万円札などの流通残高の急増が示すとおりである。換言すると、世界的に決済においてはキャッシュレス化が進む一方で、資産保有の面では低金利を背景に紙幣への需要が高まり、マネーが高額紙幣の形で家計に滞留している、と言えよう。それらの多くが、いわゆるタンス預金であり、各国の税務当局が税逃れ目的ではないか、と常に目を光らせているものである。
野間修

【略歴】 
神戸大学法学部卒業。財務省(旧・大蔵省)に入省し、主に国際金融局にて、税・財政、金融検査官、米国経済、国際通貨基金(IMF)や国際収支、ODAなど、幅広い分野の実務に従事。シンガポール国立大学にて2年間の客員研究員も。財務省退職後は宮崎公立大学地域研究センター主任研究員に就任し、地域経済の研究に従事。地元ラジオ経済番組への定期出演や市民向けの金融セミナーの講師役も。
2017年3月、惜しまれながらSBI大学院大学を退官。大学創立メンバーの一人で、在任時は「国際金融論」「金融概論」を担当し、最新の講義データと優しい物腰で多くのファンを持つ。
大学1年の時、武道館コンサートに行き、リバプールに三回訪問するなど、長年のビートルズマニア。
野間先生