野間先生金融ブログ

山一や拓銀の破綻から20年を経て想うこと

時事・金融
  今年の秋で、1997年11月に相次いだ北海道拓殖銀行(拓銀)や山一証券などの経営破綻から20年が過ぎた。その当時、筆者は霞が関から松江財務事務所に派遣され単身赴任を始めたばかりであったが、「社員は悪くありません」で記憶に残る山一社長の号泣記者会見の模様など、当時の状況を今も鮮明に覚えている。言うまでもないが拓銀は都市銀行の一角を占め、山一も四大証券の一角を占める超名門企業であるとともに、「too big to fail」(注1)が典型的に当てはまる巨大金融機関でもあった。この11月は、三洋証券の破綻で始まったが、拓銀や山一までもが破綻したと聞いて、金融の世界がメルトダウンして行くようなうすら寒さを覚えたものである。また、この1997年であるが、7月にはタイを起点とする「アジア通貨危機」(注2)が発生し、日経平均株価もまたまた再暴落して行く中での金融危機でもあった。
  それから20年が過ぎた今、筆者が思うことは、この97年の金融危機が1980年代後半の資産価格(地価と株価)の高騰が紛れもなく「バブル(注3)」であったことを人々に自覚させたことである。それと共に、90年代初頭からの資産価格の下落がバブルの崩壊であることを思い知らせたのである。今なら明らかなことであるが、バブル期は、それ以前の「高成長・高インフレ・高金利」の時代から、新たな「低成長・低インフレ(デフレ)・低金利」の時代へのターニングポイントであった。しかしながら、バブルがはじけて間もない頃は、それが分かるはずもなく、バブル崩壊が始まっても最初の数年間は、いずれ地価も株価も元に戻るとの楽観論が根強く残っていた。また、その当時には90年代初頭が「失われた20年(30年)」の起点であり、近年に至るまでの長期デフレと景気低迷が続くことを予測した識者も皆無に近かった、と思うのである。そこで以下、改めて、この当時の人々の心情やマインドを振り返ってみたい。
  先ずは、日本で1980年代後半に生じたバブルであるが、1985年9月の「プラザ合意」(注4)を契機とした急激な円高(ドル安)と円高不況に対処するために、日銀が実施した長期で超大型の金融緩和策が主因である。そして、わずか4年の間に約3倍上昇した日経平均株価は、1989年末の大納会の日には3万8,915円の市場最高値をつけた。しかし、株価は翌1990年の大発会の日より急落に転じてしまった。また、その約1年遅れで地価も反落に転じたが、多くの人々は90年以降の資産価格の反落を一時的な「調整」と見て、いずれ再反騰に転じることを疑わなかった。今にしてみると、1980年代後半の資産価格の高騰は紛れもなくバブルであったのだが、当時の日本人の多くはバブルとは認識していなかった。多くのエコノミストや識者、政策担当者達も、資産価格の上昇は日本経済の実力を反映したものである、あるいは、ファンダメンタルズで正当化できる、との主張を展開していた。もちろん、近い将来に資産価格が低落する、と予測する識者も少数はいたが、彼らの警戒に耳を傾ける人は少なかった。ましてや、資産価格がその後長期にわたり21世紀の今日近くに至るまで崩壊し続けることを予測した人は皆無であった、と思うのである。
このように、バブルは突然に破裂したわけではない。その一例が「ジュリアナ東京」である。バブル期の象徴的な映像として登場するあのディスコ・シーンであるが、91年5月から94年の8月までの間の出来事であった。ジュリアナ東京が示すように90年代に入ってからも、人々の心の中ではバブル期に特有の「ユーフォリア(自己陶酔感・高揚感)」が間違いなく続いていた。考えてみると、バブル期に先立つ20~30年の間も高成長と右上がりの時代であり、バブル期はその延長に過ぎなかった。こうして長年にわたり人々(無論、筆者自身も)の心中に深く根付いた右上がり信仰、特に土地神話(地価は必ず値上がりするもの)が、1990年代に入って突然に消滅してしまったのではないのは当然と言える。無論、筆者自身も、株価も地価もいずれ元に戻る、との感覚を十分に持っていたことを記憶している。証券用語に「高値覚え」(注5)がある。筆者も日経平均の最高値であった3万8,915円をよく記憶しており、いずれはまた、その付近にまで戻るだろう、との淡い期待を抱いていた。
  このようにして、90年代の初頭の数年間は「株価さえ戻れば何とかなる」との楽観論が残っていたことが、資産価格の下落で深刻化し始めた金融・経済界の諸問題(特に、不良債権の急拡大と金融機関の経営危機)への抜本的な対策を遅らせた。各銀行もこの段階では、不良債権問題を極めて深刻なものとしては認識していなかった。何故なら、地価の値下がりは一時的なものでありいずれ地価が元に戻れば融資額も回収できる、と考えたからである。日本人の心に深く染み込んだ、「土地神話」はそれ程、強烈なものであり、政府による金融システム動揺への取り組みも遅れた。政府も企業も銀行にも、いずれ景気は回復し地価も株価も底を打つ、という期待があったからである。
  しかしながら、後から振り返ってみると、これらは全て問題の先送りでしかなかった。人々の期待に反して、株価も地価もさらに値下がりを続けた。また、政府による度重なる景気対策にも係わらず本格的な景気回復は、蜃気楼のようにすり抜けて行くばかりであった。特に、不動産・建設セクターや流通セクターで倒産が続出して銀行の不良債権も増加し、銀行の収益が更に悪化した。そして、私たち日本人が、バブル崩壊と金融システムの問題の深刻さを真に思い知らされたのが、上記の通り、97年の大型金融機関の相次ぐ破綻である。ここに至って、政府による不良債権問題への取り組みは本格化し、金融危機の管理のための法案(「金融再生法」など)の整備や自己資本増強のため大手銀行等への公的資金の注入が実施されるようになった。バブルがはじけて間もない頃は、税金を使って銀行に資本注入を行うことなど論外、との世論が圧倒的だったのに、である。
  わが国のバブル経済に関しては、故・宮崎義一氏(京都大学名誉教授)の名著である「複合不況」(中公新書)がある。同氏はその中で、「バブル崩壊後の不況は従来型の不況(例えば在庫循環型の不況)とはかなり様相を異にしており、従来に例を見ない『金融部門がリードした景気後退(複合不況)』、又は、明らかにニュー・フェイスのリセションである」、とされている。換言すると、80年代半ばの金融自由化により実体経済より膨らみ過ぎた金融経済がもたらした不況であり、「金融不況」、又は「バランスシート・リセション」(注6)と言っても良い。この種の金融不況、あるいはバランスシート・リセションは脱却に時間を要する、との指摘をする識者も数多い。リーマン・ショックを契機とした米国発の金融危機と世界同時不況もバランスシート・リセションであった。
  今日では、非常に幸いなことに、わが国でも先進諸国でも膨らみ過ぎたバランスシートのリストラ(再構築)が進み、金融不況からもほぼ脱却済みである。わが国の銀行の不良債権比率も直近(2018年3月期)では1.7%にまで低下し、不良債権問題は過去のものとなった。そして足もとでは、世界同時好況と言って良い状況にあり、株価も全世界的に上昇中である。言うまでもなく、それはリーマン・ショック後の超大型の金融緩和策を背景としたものであることから、例えば米国の場合、既に8年も続いている株価上昇に対しても、バブルを懸念する声が高まっている。果たして、今の株価上昇はバブルなのかどうか。その判定は非常に難しい。バブルの定義が「経済の基礎的条件では正当化できない資産価格の上昇」であることは確かであるが、正当化できる価格上昇だったか否かは、事後的にしか分からないものだから、である。こう考えると、バブルがはじけてみてようやく人々はバブルだったと気がつくこと、つまり「後の祭り」であることにバブルの本質があるように思えてならない。いま現在、価格が急騰中のビットコインに対しても「後の祭り」の気配を濃厚に感じているのは筆者だけだろうか。

野間修

【略歴】 
神戸大学法学部卒業。財務省(旧・大蔵省)に入省し、主に国際金融局にて、税・財政、金融検査官、米国経済、国際通貨基金(IMF)や国際収支、ODAなど、幅広い分野の実務に従事。シンガポール国立大学にて2年間の客員研究員も。財務省退職後は宮崎公立大学地域研究センター主任研究員に就任し、地域経済の研究に従事。地元ラジオ経済番組への定期出演や市民向けの金融セミナーの講師役も。
2017年3月、惜しまれながらSBI大学院大学を退官。大学創立メンバーの一人で、在任時は「国際金融論」「金融概論」を担当し、最新の講義データと優しい物腰で多くのファンを持つ。
大学1年の時、武道館コンサートに行き、リバプールに三回訪問するなど、長年のビートルズマニア。
野間先生