野間先生金融ブログ

貨幣(お金)の歴史から見る「仮想通貨」

仮想通貨
 筆者は昨日、日本銀行の本館前にある「貨幣博物館」(外部リンク)に3回目の訪問をした。日銀が保有する江戸後期から明治初期の錦絵を現在、期間限定で公開中と聞いたからである。この当時の錦絵は、急激な物価上昇を風刺した作品が多い。展示品の中で、特に興味深かったのが、「欲の戯(たわむれ)・ちから競(くらべ)」の錦絵である。その中では、擬人化した「米俵」と「政府紙幣」が、自らの首に輪をかけて互いに引っ張り合う首引き競争で、米俵が政府紙幣を圧倒している様子が描かれている。この錦絵が書かれた時代の背景にあるのが、1877年(明治10年)の西南戦争である。明治政府は戦費調達のために、金・銀との交換保証のない不換紙幣である政府紙幣を発行したのだが、この政府紙幣の大量発行が高インフレを招いた。錦絵は、紙幣の大量発行で実物資産である米俵の価格が暴騰してしまう様子を揶揄したものである。そして、この高インフレが日銀発足の契機となった。つまり、1881年に大蔵卿(現在の財務相)に就任した松方正義(薩摩藩士)が物価安定を図る中央銀行の必要性を強く提唱して、82年に日銀を設立するに至ったのである。
 上記のように、西南戦争のために政府側は政府紙幣を大量発行したが、戦いの相手側である西郷軍も、「西郷札」と称される不換紙幣を発行した、という事実は非常に興味深い。西郷札とは、敗走中の西郷軍が現在の宮崎市近郊で発行した軍票であり、貨幣博物館で展示中の錦絵の真下には、政府紙幣と並べて西郷札も展示されている。そして、これらの展示品を見ていると、貨幣(通貨)や紙幣とは何か、貨幣の強制通用力とは何か、といったことを改めて問いかけているように思える。
 そこで以下では、貨幣(通貨)の成り立ちや歴史を振り返ってみたい。先ず、太古の昔であるが、貨幣など存在しない「物々交換」の時代であった。物々交換が成立するための大前提は「等価交換」であるが、物々交換(等価交換)が不自由極まりないことは容易に想像でき、やがて「物品貨幣」の時代に入って行く。そこでは、「毛皮」、「稲」、「貝貨」、「宝貝」などが原始貨幣として活用されるのであるが、これらは物品ではあっても、貨幣として持つべき3つの機能(交換手段、価値の貯蔵手段、価値の尺度手段)を備えている。従って、「物品貨幣」の時代が貨幣経済の始まり、と言って良い。そして、その次の時代が「金属貨幣(金貨・銀貨)」の時代であり、「毛皮」や「貝貨」等に代えて金や銀が貨幣として使われるようになった。「金は誰の債務でもない」との格言が示すように、金(銀)は、それ自体が究極の価値を持つものである。こうした金(銀)が鋳造されて金貨(銀貨)となり、他のモノとの交換に使われたわけであるが、金貨(銀貨)自体が価値を持つものなので、金貨(銀貨)でモノを買う行為もレッキとした「物々交換(等価交換)」であったと言える。しかしながら、金貨などの金属貨幣は持ち運びなども含め、なお不自由極まりない。そこで、やがて「紙幣」が登場した。ではなぜ、所詮は紙切れに過ぎない紙幣が交換手段として使うことが可能であったのか。つまり貨幣としての通用力を持ち得たのか。それは、発行された紙幣が金(銀)の代替物であり、その紙幣を発行者のところに持ち込むと、いつでも金(銀)の実物に代えてあげる、との保証付きだったからである。これが「兌換紙幣」である。このように、兌換紙幣とは金(銀)の裏付けのもとに、発行されていたものである。換言すると、紙幣の発行額は金(銀)の保有量に限定されていた。
 しかしながら、さらに時代が下って経済活動もさらに活発になると、金(銀)の保有量と比べて、紙幣の必要量が大きく上回るようになる。そこで登場したのが、金との交換の保証(金の裏付け)なしに発行される「不換紙幣」である。金との交換保証がなく、受取人(保有者)の立場からすると不安で一杯のはずの不換紙幣を発行し、流通させることのできる人は、どのような人か。それは、絶対的な権力を持つ人(例えば、国王)であったに違いない。その「権限(オーソリティー)」と「鶴の一声」を背景に、権力者は不換紙幣に強制通用力を持たせることができたのである。こうして権力者は、金との裏付けなしに、すなわちタダ同然で一定の額面の紙幣を発行し、自らもそれで買い物ができたのだから、紙幣の印刷代を除くと、「丸儲け」である。そして、不換紙幣の発行者が獲得できる額面と発行費用(額面と比べるとごく僅か)との差額を、「シニョレッジ」(通貨発行益)と称した。シニョレッジなどと言うと、大層難しそうに聞こえるが、中世ヨーロッパの領主を意味した「シニョール」から派生した言葉である、と聞くと、「なるほど」と納得できそうである。
 それでは、現在、各国の通貨当局や中央銀行が発行している紙幣はどうか。第2次大戦後であるが、いわゆる「ブレトンウッズ体制」の下で、米国は米ドルと金との交換を保証するとともに、各国は自国通貨の平価を維持する(=対ドルでの固定相場を守る)義務を課されていた。これがブレトンウッズ体制の下での「金・ドル本位制」であり、要するに米ドルも各国通貨も兌換紙幣であった、と言って良い。この体制を崩壊させたのが1971年8月にニクソン大統領によって発表された米ドルと金の交換保証の停止宣言である。これが世界史に残る「ニクソン・ショック」であり、これにより米ドルも各国通貨も金とのリンクが断ち切れてしまうと同時に、殆どの先進国通貨は対ドルでの固定相場制を放棄して変動相場制に移行したまま今日に至っている。要するに、今日ではわが国を含む殆どの国の通貨が金との交換保証のない(金の裏付けのない)不換紙幣となっているのである。
 では、不換紙幣である貨幣を私たちは、なぜ安心して使っているのか。それは、法律の規定によって「強制通用力」が付与されているからである。紙幣(銀行券)の場合、日本銀行法の第46条第2項が、「日本銀行が発行する銀行券は、法貨として無制限に通用する」と規定している。硬貨(百円玉など)についても、「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」の第7条が、「貨幣は、額面価格の20倍までを限り、法貨として通用する」と規定してくれている。
 以上は、現金(紙幣と硬貨)に関することであるが、今日では「貨幣(通貨)」の定義の中には、「現金(紙幣と硬貨)」に加えて、「預金」をも含んでいる事実を忘れてはならない。そして、実際に世の中に出回っている貨幣(通貨)の量を見ると、「現金通貨」が100兆円程度であるのに対して、預金通貨は普通・当座預金だけでも約600兆円に達しており、預金通貨の方が遥かに多額なのである。では、私たちが、現金だけでなく預金通貨も含めて貨幣(通貨)を保有していることに何の心配もないのは何故か。無論それは、上記の法律が法貨として無制限に通用することのお墨付きを与えているからだろうが、それに止まらず、私たちがわが国の社会全体の「システム」に全幅の信頼を置いているから、と言えるのではないか。要するに、現金であれ預金であれ、日本円である限り、当局を含むあらゆるシステムや仕組みがその価値を守ってくれている、と私たちが信じているからではないか。仮に、この信頼が乏しくなると、私たちは自らが保有する貨幣(現金と預金)を海外に持ち出して他国通貨に交換しようとするに違いない。これが起きているのが中国であり、そこで中国当局は中国人が人民元を海外に持ち出す行為を厳重に規制しようとしているのである。
 最後になるが、以上で見た貨幣の歴史等も踏まえつつ、ビットコインなどの仮想通貨も、貨幣(通貨)と言えるのか、につき記述してみたい。仮想通貨に関しては、本年4月に施行された「改正資金決済法」によって、定義がなされた。それによると、仮想通貨とは、①電子的に記録され移転できること、②法定通貨、または法定通貨建て資産ではないこと、③不特定多数への代金の支払いに使用でき、法定通貨と相互に交換できること、の3要件を充たすもの、と要約できる。そのうちの②にあるように、ビットコイン等は「日本円建て」ではない、独自の通貨単位の通貨である。それでも、仮想通貨は、上記した貨幣として持つべき3つの機能(交換手段、価値の貯蔵手段、価値の尺度手段)を備えている。そうした意味では、貨幣であると言うべきだろう。
 その一方で、日銀は、「貨幣供給量(マネー・ストック)」統計を発表しているが、同統計上では、「貨幣(マネー)とは、一般法人、個人、地方自治体が保有する貨幣(現金+預金)の総量である」、との定義付けをしている。つまり、日銀の言う貨幣は日本円建ての現金と預金のみが貨幣であり、ビットコイン等の仮想通貨は貨幣に含んでいない。ちなみに、スイカ等の電子マネー(円建て)も現状では、日銀の貨幣供給量統計には含まれていない。従って、将来的には日銀が定義を変更して、電子マネーのみならず仮想通貨に関しても、通貨供給量統計の中に含める扱いとする可能性がある、と筆者は考える。ただし仮想通貨が、強制通用力を持つ法定通貨の地位にまで引き上げられるか、と言うと、それは一気にハードルが高くなる気がする。仮想通貨には、中央の管理者(日銀などの当局)がいない、という非常に大きな特徴がある。日銀自身では管理できない仮想通貨に対して、日銀法の規定により「法貨として無制限に通用する」とのお墨付きを与える時代が直ちに到来する、とは全く考えられないからである。
 貨幣博物館には、「大勢の人が『これはお金だ』と思うものが、その時代、その地域で『お金』として使われてきた」、との文言も展示してあった。金融の教科書では、これを「一般受容性(Acceptability)」と表現している。ビットコインなどの仮想通貨が、既に「大勢の人によってこれはお金だ」と思われている地位を獲得しているようには到底、思えない。仮想通貨が一般受容性を獲得するまでには、まだまだ多くの試行錯誤と時間を要するのではないか。

「貨幣博物館」(外部リンク)
野間修

【略歴】 
神戸大学法学部卒業。財務省(旧・大蔵省)に入省し、主に国際金融局にて、税・財政、金融検査官、米国経済、国際通貨基金(IMF)や国際収支、ODAなど、幅広い分野の実務に従事。シンガポール国立大学にて2年間の客員研究員も。財務省退職後は宮崎公立大学地域研究センター主任研究員に就任し、地域経済の研究に従事。地元ラジオ経済番組への定期出演や市民向けの金融セミナーの講師役も。
2017年3月、惜しまれながらSBI大学院大学を退官。大学創立メンバーの一人で、在任時は「国際金融論」「金融概論」を担当し、最新の講義データと優しい物腰で多くのファンを持つ。
大学1年の時、武道館コンサートに行き、リバプールに三回訪問するなど、長年のビートルズマニア。
野間先生